ボーダレスな女たち

浮世絵とロックバンドがコラボ!?29歳で飛び込んだエンタメの本場LA

SPECIAL 2018.9.7

「海外」と「お金」をテーマに、海外へ飛び出しビジネスチャンスをつかんできた先輩たちに、30代女子を代表して斉藤アリスが質問する連載企画。第二回目は、日本と海外をアートで繋げる三井エージェンシー・インターナショナル代表の三井悠加さん。KISS、デビット・ボウイ、アイアン・メイデンとのコラボを実現し、今その視線の先にあるものは?

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100年後、200年後まで語り継がれる作品を。

日本の伝統芸術『浮世絵』とアメリカのロックバンド『KISS』をコラボさせた浮世絵プロジェクト。その仕掛け人として今世界から注目を集めているのが、三井エージェンシー・インターナショナル代表の三井悠加さん。

三井悠加さんと斉藤アリス。

「ミュージアムで10年後に飾られてたらいいなって思っていたんですけど、今それが実現に向けて少しずつ動き出しています。今の私たちが浮世絵を見ているように、100年後200年後に未来の人たちがこの浮世絵を見て『あ、浮世絵ってここでまた変わったんだね』と言って歴史を感じてくれるようなものが制作できたらいいな、と思っています」

そんな壮大な抱負を語る三井さんは、19歳から29歳までの10年間、父が運営する演歌の芸能プロダクションで所属タレントのマネージャーとしてキャリアを積まれたそう。30歳を目前にLAへと旅立ち、31歳のときアメリカで起業。三井さんの手がけるプロジェクトには、世界の名だたる博物館もラブコールを寄せています。現在に至るまで、三井さんが仕事においてどんなことを大切にされてきたのか、聞きました。

20代はノンストップ。仕事に遊びに全力投球

—19歳から芸能事務所のマネージャーさんをされていたと聞いたのですが、最初から芸能の世界へ進もうと思っていたんですか?

全く思っていませんでした。高校を卒業したあとはジュエリーをつくる彫金の専門学校に通っていたんです。当時バイトしていたジュエリーの会社に、そのまま就職するつもりでいました。ところが卒業の直前に、所属していた夏川りみさんが『涙そうそう』でブレイクして紅白出場が決定。実家のプロダクションが急に大忙しになり、家業を手伝うことにしたんです。

—ジュエリーデザイナーの道を歩もうと決めていたのに、気持ちの折り合いはついたんですか?

りみさんがお姉さんのような存在だったこともあって、誰にも頼まれていないんですけど、「手伝わなきゃ」ってそのときは思ったんですよね。

—えらいですね。私がその状況だったら、実家を手伝うって言えないかも。

えらいですか(笑)? なんかそのときは「忙しそうだから手伝わなきゃ」って思ったんですよね。

マネージャー時代の三井さん、27歳

—マネージャー業ってすごく忙しくて体力的にも大変なイメージがあるのですが、実際はどうでしたか?

すごく楽しかったですよ。ツアーで日本全国をまわっていたので、行く先々で地元の美味しいお酒やご飯が食べられたり。旅が好きだったので楽しかったです。
大変だったことといえば、あまり寝れなかったことかな。毎回のライブ終わりの打ち上げが絶対参加だったんですよね。翌朝は8時からコンサートの機材の搬入があったり。

—じゃあプラベートな時間はあまりなかったんですか?

いえ、友達と遊ぶ時間も大事にしていたから、余計に寝る時間がなかったんだと思います。ほとんど地方にいたので、「東京にいるときに遊ばないと!」と思って、寝ずに遊んでました(笑)。

—バイタリティーありますね! その後、何年間マネージャー業をされたのですか?

10年くらいですね。休みなくずっと仕事に没頭してきて、気がついたら29歳。まわりの友達も結婚し、子供が生まれて、それぞれがまた新しい環境を作っていました。そんなときに、一度立ち止まってゆっくり今後の人生を考えてもいいんじゃないか?  と。そんな時、LAで2年間留学することに決めたんです。

UCLAのクラスメイトと。当時30歳。

30代を目前にLA留学。学校でついたあだ名は“ママ”

—なぜLAにしたんですか?

振り返るとビジネス面のことを学んでなかったな、と。マネージャー時代は「現場で見て学ぶ」という感じで、誰にも教わらないで来てしまったので、どういう風に音楽業界が動いているかを勉強したいな、と思ったんです。それで「エンタメの本場ならLA!」と思い、旅立ちました。

—UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校。 ハーバードやスタンフォードと並ぶアメリカの名門大学)に行かれたって聞いたんですが。

UCLAの夜間のコースへ通っていました。はじめは英語が全然しゃべれなかったので半年間、語学学校へ通いました。まわりはみんな18歳とか19歳くらいの子たちで、クラスメイトにはママって呼ばれていました(笑)。その時には「あ、もっと早く来ればよかったな」と思ったけど、最終的には30歳で行ってよかったと思っています。

—どうしてですか?

エンタメのクラスを受けるようになって、日本でマネージャー業を経験してきたことが生かされたんです。「日本とアメリカの音楽業界は、こういうところが違うんだ」とか「こことここが繋がったらビジネスになるかな」とか、そういうことが体感できました。もし同じことを19歳で学んでいてもわからなかったと思うんですけど、仕事の経験があったので自然に理解することができました。

The T.J. Martell Foundationにて仕事仲間と。当時33歳。

—なるほど。英語は難しくなかったですか?

基本ネイティブの方が受ける授業なので、やはり難しかったです。授業は常に録音して、家に帰ってから家庭教師をつけてもう一回復習するという毎日。法律のことや日本語で聞いても理解できないような専門的な話だったので、とにかく必死でした。

—えー! それはすごい!! お金もかかりそう。

お金かかりましたね。働いていたときの貯金が使えたのも良かったです。

—最初に渡航したときの貯金ってどれくらいあったんですか?

貯金は500万円くらいでした。あとは留学中も日本の仕事を続けていました。海外にいても電話とパソコンでできる仕事をずっと遠隔で続けていたので、収入もありました。

—それも大人の留学ならではのメリットですね。最初の家賃はどのくらいですか?

カルバーシティーというLAの郊外に2人でシェアハウスをしていたんですけど、1ヶ月650ドル(約7万円)ドルくらいでした。

LAのミュージアムにてクラスメイトと。当時29歳。

—ビジネスの授業っていわゆる“ザ・お勉強”なイメージがありますが、実際にはどんなことを勉強するんですか?


授業もあれば、自分たちからプレゼンする時間もあります。たとえば、架空のアーティストを自分でつくって、ツアーのプランを発表したり。私はNY出身のアイドルグループをつくって、LAでライブをする想定で交通費や機材などの費用もすべて計算しました。実際に音響や照明の会社に電話をして見積もりをとるんです。
教えてくれる教授は元マイケルジャクソンのパーソナルマネージャーや、スティーブンタイラーの顧問弁護士とか。教える人自身がエンターテイナーだから踊りながら教えたりするんです。それがめっちゃ面白くて!

—リアル版『世界一受けたい授業』ですね! 卒業後はどうされたんですか?

2年で帰ろうと思っていたのですが、やはりロスで勉強したことを生かすことができたら面白いなって思ったんです。父親にダメ元で「ロスで会社立ち上げたいんだけど」と相談したら「どんどんやりなさい」という感じで背中を押してくれて、アメリカ法人で独立させた会社をつくりました。

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HOLICS編集部

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