すべての女性のための偏愛ミュージアム

好きを仕事につなげたひと

潔さが格好いい!スタイリスト小山田早織さんの「断捨離」仕事論

SPECIAL 2017.9.25

雑誌やテレビなどで大活躍の超人気スタイリスト小山田早織さん。今回は、“身の丈に合った服”で女性たちを幸せにする“小山田リアルクローズ”の誕生秘話をお届け。いくつもの“好き”の中から潔い選択を繰り返してきた小山田早織さんが、全力疾走で駆け抜けた20代のお仕事論に迫ります。

学生時代の夢は、影響力のある人になることでした

「with」をはじめとする数々の雑誌、広告、テレビ「ヒルナンデス!」や「エマール」のCM出演など、さまざまなメディアで活躍するスタイリスト小山田早織さん。読者に寄り添ったスタイリングで、20代のOLから30代の主婦まで、おしゃれに悩む幅広い層の女性の救世主的存在に。そんな小山田さんがスタイリストを志したのは大学3年生の頃。それから、たった数年で売れっ子スタイリストまで登りつめたサクセスストーリーの決め手は、常に自分にとって何が大切かを冷静に見極め、取捨選択する力にありました。

いろんなことを経験して「何が好きで、何が嫌いか」を見極めたかった

ーーTV「ヒルナンデス!」や「エマール」CMの出演、最近ではスタイルブックを出版するなど、目覚ましい活躍ぶりですね。

ありがとうございます。

ーー現在は、主にどんな活動を?

「with」をはじめとするファッション誌、ブランドカタログ、テレビCMやファッションショーのスタイリングの他に、今年の春からアパレルブランド「TOKYO STYLIST THE ONE EDITION」のディレクターも勤めています。

ーーすごい、多岐に渡りますね。さまざまなメディアで大活躍中の小山田さんですが、学生時代は読者モデルをされていたとか。

大学の入学式でViVi編集部の方に声をかけてもらい、在学中は誌面にたくさん出させていただきました。はじめは小さな扱いでしたが、次第に1ページの扱いになったり、タイアップのオファーが来たり。そういえば、雑誌に出ていたご縁でデニムブランドのデザイナーを始めたのもその頃でしたね。

with 2017年4月号

ーー人気読者モデルだったんですね。そして、デニムブランドのデザイナーとは?

岡山県の児島にあるデニムの製造会社から、デザイナーをやらないかと声をかけていただいて。何にでも挑戦したかった私は、大学へ通いながらデザイナーとしてのキャリアをスタートさせました。週2〜3日は、始発で岡山の工場に行き、パタンナーの仕事を見せてもらったり、一人で軽自動車を運転し、隣町のメーカーまでパーツの打ち合わせに出向いたり。

ひと通り済んだら、帰りの新幹線で課題をしてから学校へ行っていました。お昼休みはViViのスナップ撮影に行き、7限目が終わるとコンビニバイトへ直行。そしてまた翌日は始発で岡山へ、という生活がしばらく続きました。

ーーそんなお忙しいのにアルバイトまで! ちなみにどんなアルバイトを?

球場でコカコーラを売ったり、テレアポをやったり、いろんなアルバイトを経験しましたが、ずっと続けていたのはファミリーマート。実は、バイトをしていた店舗がファミチキの売り上げで全国2位を取得したこともあるんです。あと、笑顔ナンバーワン賞をもらったり(笑)。

ーー仕事への意識の高さは学生時代から変わっていないですね。その頃、周りの遊んでいる友だちをみて自分ももっと遊びたいと思いませんでしたか?

あまりなりませんでしたね。きっと、自分探しに必死だったんですよね。とにかくいろんなことを経験して、何が好きで、何が嫌いかを見極めたかった。

ジャケット/TOKYO STYLIST THE ONE EDITION インナー/ブランディー・メルビル パンツ/ディーゼル パンプス/ディースタイル バッグ/ロンシャン

ーー大学卒業後もデザイナーとして働くつもりだった?

当時の私は教員志望だったんですよね。もともと人材育成に興味があって、教師になりたいと思っていました。でも、ある日デニムブランドのカタログ撮影でスタイリングやディレクションを一人でやらせてもらったんです。それがすごく楽しくて! メンズラインのディレクターに「スタイリストが向いてるんじゃない?」と言われたのをきっかけに、スタイリストという職業に興味を持ち、情報を集め始めました。

ーーここで初めて、スタイリストを志すことになったということですね。

いえ、まだ迷っていました。実は、このときブランド自体もすごく好調で、某有名セレクトショップから独占で取り引きがしたいとオファーが来るほどだったんです。そんな中、一般企業への就職活動もし、教育実習に行って社会科の教職免許も取得していたので。

「仕事グッズは黒で統一!」

左から・TOKYO STYLIST THE ONE EDITIONのスマホケース、ジバンシィの財布、ペンケースつきの手帳。

ーーということは、教員、デザイナー、スタイリスト、3つの選択肢があったわけですね。

そうなんです。教育実習に行ったときのことなんですが、教室に行くと生徒が机の上にViViを広げているんですよ。雑誌に出ているというだけで、私に興味を持ってくれる。本当ならつまらなく感じてしまう歴史の授業も、まじめに聞いてくれる。そんな姿を見ていると「今しかできないことをやるべきだ」という思いが強くなり、次第にスタイリストアシスタントの道に心が傾きはじめ、ブランドも畳ませていただきました。

ーーその後、どのようにしてアシスタントの道へ?

しばらくして、「CanCam」の方に声をかけていただき、デニムブランドのPRも兼ねて撮影に行ったんです。そしたら、そこに編集長もいらっしゃって、「卒業後はどうするの?」と聞かれて。そのときにはもう「スタイリストになる!」と心が固まっていたので、「スタイリストになりたいので、師匠を探してます!」と答えたら、気の合いそうなスタイリストがいるからと、すぐ紹介してくれることになり、スタイリストアシスタントとして働くことになりました。

中途半端な自分が嫌で、一刻もはやく独立して結果を出すことだけが目標でした

phoebe×TOKYO STYLIST THE ONE EDITHIONのイヤリング

「「ショートヘアなので、耳元のアクセは欠かせません。留め具がマグネットタイプになったイヤリングは、phoebeとTOKYO STYLIST THE ONE EDITHIONのコラボアイテム。アクセサリーはシンプルで大人っぽいデザインが主流です」

ーーアシスタント歴1年半と、脅威のスピードで独立されたんですよね。

はい。みんなが社会人になるのと同じタイミングで、自分も独立したいという一心でががむしゃらに頑張りました。就職もせずにスタイリストアシスタントへの道を選んだことを、「あんな真面目に勉強を頑張っていたのにね......」とバカにされたこともありました。それがとにかく悔しかったのと、教員の道を諦め、デニムブランドも畳んでしまった中途半端な自分が嫌で。結局独立したのはその翌年でしたが、一刻もはやく独立して結果を出すことだけが目標でした。

ーー22歳で独立とは、その若さゆえ苦労されることも多かったんじゃないでしょうか。

独立当初は、いろんなアイテムをまんべんなく借りたり、1ヵ月着まわし企画のたった10着のワードローブを決めるのにものすごく苦労したり。コーデを可愛く組むところまでなかなか行き着かなくて、思い描いていた理想とは程遠いものでした。なので、今こうしてインタビューを受けていることが、奇跡のような感覚です。

“明日着られるリアルな服”=“身の丈に合った服”がいかに大切かを学びました

ダニエルウェリントン(左)とスカーゲン(右)の時計

「分刻みでアポを入れてプレスルームを回ることが多いので、時計は絶対に外せません。気分で時計もアップデートしていきたいので、あまり高級なものはつけませんね」

ーー小山田さんと言えば、誰もが真似したくなるリアルクローズが得意なイメージですが、スタイリングにおけるポリシーは?

“身の丈に合った服”。これは私が繰り返し使ってきた言葉で、今回出版したスタイルブックのタイトル「身の丈に合った服で美人になる」にもつながりました。

ーーそのポリシーが生まれた経緯は?

おしゃれに悩む読者に着こなしを教える「with」の連載や、テレビ「ヒルナンデス!」で「いつもよりほんのちょっとだけおしゃれがしたい」という、一般の主婦の方の願いに触れることで、“明日着られるリアルな服”=“身の丈に合った服”がいかに大切かを学びました。

ーー人に何かアドバイスをすることに楽しみを感じるというのは、教員志望だった頃と通ずるものがありますね。

そう、最近ようやく結びついて来たんだなと感じています。今回出版したスタイルブックにも、女性向けの自己啓発っぽい要素を盛り込んでいますし。やっぱり説得力のある人間であるためには、今までのキャリアはもちろん、これからもずっとコーディネートを組み続けることだと改めて思っています。

「もうこれくらいでいいか」と、自分の限界を決めてしまっていた

時計/ニクソン 左手リング/ともにete 右手小指/ヒロタカジュエリー スカート/TOKYO STYLIST THE ONE EDITION

ーーディレクターを務める「TOKYO STYLIST ONE EDITION」で、再びアパレルブランドを始められたんですね。


オファーをいただく前の私は、スタイリストとしてはもっともっと頑張りたいけど、ブランドを立ち上げるとか、本を出版するとか、そんな気力なんてなく、正直疲れていたんですよね。当時付き合っていた彼とも結婚する話が進んでいましたし、「もうこれくらいでいいか」と、自分の限界を決めてしまっていたんです。

ーー小山田さんにもそんな時期があったんですね。

はい。でも、彼の仕事の都合で結婚後はアメリカへ引っ越すかもしれないという話になったとき、「今アメリカへ行っても私は一体何ができるんだろう」と振り返ったら、スタイリストとしても中途半端な自分に気づいたんです。それから、彼とはたくさん話し合いをしましたが、結果、別れることになりました。

スイスの下着ブランド「 HANRO(ハンロ)」のキャミソール

「上質な着心地がのよさに惚れ込んで、何度もリピ買いしているほどお気に入りのアイテムです。見えない部分も大事にしたい」

ーーそれはかなり大きな決断でしたね。

そうですね。それで、別れて少しした頃、「TOKYO STYLIST THE ONE EDITION」のディレクターのお話をいただいたんです。その後、スタイル本の出版の話やエマールのCM出演の話も舞い込んで来て。

ーー教師やデザイナー、彼との結婚。何かを手放し、本当に好きだと思えることを選んだタイミングでいつも大きな出会いがありますね。

確かにそうですね。このときは、本当にいろいろなオファーが重なったので、「これはもう行けるところまで行こう!」と心に決めました。

これから先も一生コーディネートを組んでいたい!

「ブルーライトカットのメガネはメールチェック用に」

トップス/TOKYO STYLIST THE EDITION ピアス/オープニングセレモニー メガネ/JINS

ーーお仕事をされる上で掲げているモットーは何でしょう?

“モノが売れるスタイリストであること”。これは、スタイリストになった頃からずっと変わりません。雑誌で私が組んだコーディネートが完売したとか、私が提案する服に問い合わせが殺到したと言われることが目標です。先日、雑誌「WWD」で“モノが売れるスタイリスト”として紹介してもらったんです。それは、1つの目標を達成した瞬間でもあったし、これからの励みにもなりましたね。

ーー今後の目標はありますか?

ひと通りやりたいことを叶えた今、次の目標はとくに決まっていません。今抱えている仕事を一生懸命にやること。そして、これから先も一生コーディネートを組み続けていきたいです。

小山田早織(おやまだ・さおり) スタイリスト

「with」をはじめとする雑誌、広告、TV、WEBなど幅広く活躍する人気スタイリスト。テレビ「ヒルナンデス!」や花王「エマール」のCMに出演。今年の春よりアパレルブランドの「TOKYO STYLIST THE ONE EDITION」ディレクターとしても活躍中。

待望のスタイル本はこちら!

「身の丈に合った服で美人になる」小山田早織著 ¥1200(税別)講談社

とても真っ直ぐでシンプルな生き方をされている方なんだと感じました

毎朝5時に起床、家事を済ませたらジムに行き、それから仕事へ向かう。夜7時には仕事を終わらせ、大切な人たちとの食事を楽しむ。そんな理想的なライフスタイルを送る小山田さん。はじめは「ストイックな方」という印象でしたが、お話をしていて気づいたのが、ストイックというよりも「ただ自分が好きなことを、やりたいようにしているだけ」だということ。側からみると忙しそうに見えても、決して自分を追い込むわけでもない。とても真っ直ぐでシンプルな生き方をされている方なんだと感じました。学生時代から現在に至るまでの小山田さんの行動には、見習うべき点がいっぱいです。

撮影/田中祐介

HOLICS編集部

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