好きを仕事につなげたひと

ブランド発進!元ビームス濱中鮎子さんが歩む“服ひと筋”仕事論

SPECIAL 2017.12.6

2018年春夏にデビューを控える大注目のアパレルブランド「ウーア(Uhr)」。そのディレクターを務めるのは、長きに渡り「ビームス」の顔として、女性のリアルクローズファッションを発信し続けてきた濱中鮎子さん。今回は、濱中さんが「ビームス」に入社してから独立、新ブランドを立ち上げるまでのお仕事ヒストリーをお届けします。

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がむしゃらに働いた20代。さて、30代はどう生きよう?

「レイビームス」ディレクターの濱中鮎子さんが、「ビームス」を卒業したと耳にしたのが去年の暮れ。おしゃれアイコンとして、業界内だけでなく20〜30代の女性からも支持されてきた彼女の今後の活動は? と注目が集まる中で発表された、自身のブランド「Uhr(ウーア)」の立ち上げ。13年間勤めた「ビームス」からの独立について、心の内を語っていただきました。

とにかく仕事が楽しくてがむしゃらに働いた20代。「さて、30代はどう生きよう?」と考えたとき、ふと40代の自分が見えたそう。そのときに掲げた“10年後の自分”に向けた目標とは?

ファッションを仕事にするつもりはありませんでした

ーー自身のアパレルブランド「Uhr(ウーア)」のディレクターとして、またフリーランスのPRとしてご活躍されていますが、もともとはビームスにいらっしゃったんですよね。

はい。2016年の末、13年勤めたビームスを退社しました。

ーーということは、新卒で入社してからビームスひと筋だったんですね。学生時代からファッションの道を志していた?

中高生の頃からファッションは大好きでした。ちょうど1990年から2000年にかけてのDCブランド全盛期の真っ只中で。マルジェラを頑張って買ったり、コズミックワンダーやサイラスが好きでよく着ていました。でも、ファッションを仕事にしたいとは思っていませんでしたね。高校卒業後も服飾の専門学校へ行くわけでもなく、大学に進学しました。

ーー大学生活の中で何か変化があったのでしょうか。

大学は経営学部だったのですが、就職活動を始めるまではファッションを仕事にするつもりはありませんでした。そして、いざ面接を受け始めると、リクルートスーツに肌色ストッキングを履くのがなんだかすごく嫌で。まず最初に保険と金融を受けたのですが、心のどこかで「私はきっとお堅い系の会社じゃ無理だろうな」と思っていました。

ーー面接官と話しながら、どのようなところでそう感じたのでしょう?

話をしていて、まったく気分が盛り上がらない自分がいたんですよね。結局、その後も興味のあったマスコミ関係やアパレル会社も受け、何社か内定をもらった中にビームスがあったんです。

ーービームスの面接を受けているとき、他の会社とは違う何かを感じたのでしょうか。

はっきり言って全然違いました。まず、自分が事前に用意したマニュアルトークではない話し方をしていることにびっくりして。面接官もすごく面白い人たちだったので、純粋に「この会社に入ったら楽しそう!」と思ったんですよね。内定をもらい、即入社を決めました。

自分の手が届く範囲の情報の中だけで生きてきたことを知った

「LAのレザーバッグブランド『スペシャリティードライ グッズ』のもの。デザイナーのアトリエに直接行って仕入れた、思い入れのあるバッグです」

ーー入社後はまずショップスタッフを?

そうです。原宿の路面店でショップスタッフからスタートしました。アパレル会社には、プレスやMD、バイヤーなど他にたくさんの職種がありますが、当時は、好きな服に触れられる環境に身をおけることがただただうれしくて。ショップスタッフの仕事が楽しくて、とにかく夢中でした!

ーー原宿店の次はどこか別の店舗へ?

2年くらいした頃、モード系ブランドを扱うインターナショナルギャラリービームスに異動になったんです。そこは、私が知るストリートファッションとは違う未知の世界。今まで、自分の手が届く範囲の情報の中だけで生きてたことを目の当たりにし、ショックを受けました。

とにかく知識を得るために海外コレクションの勉強をたくさんしました。それに、お客様の年齢層もそれまでより高くなったので、接客について学ぶことも多かったですね。当時は、体型に合わせてサイズ直しをして着られるお客様が多かったので、お直しの技術もかなり叩き込まれました。

ーーショップスタッフ以外の職種に興味を持ったのは?

さらに3年後、渋谷店に異動になったんです。その頃、「もしかするとショップスタッフは一生やっていきたい仕事じゃないのかな?」という思いが芽生えてきたんです。“楽しい”の先に、もっと何かを生み出す仕事がしたいと考えるようになりました。

ちょうどその頃、ショップスタッフとして雑誌に出ることが多かったこともあり、業務上のやり取りでプレスの人たちとコミュニケーションを取る機会が増えたんです。プレスルームで働く先輩たちの姿を見ているとだんだんプレスの仕事に興味を持つように。当時、“ショッププレス”という肩書きを与えられ、店頭でスタイリストのリース対応をしたり、商品を売るためのレポートを作ったりと、ちょっとしたプレス的なことは始めていたのもありますね。

パリ出張で出合ったマルタンマルジェラのブーツ。「マルジェラは学生時代から今まで、ずっと変わらず大好きなブランド。とくに靴はたくさん持っています」

ーー当時の濱中さんにとって、プレスの人とはどういう存在でしたか?

それはもう雲の上の存在でしたね。年もずいぶんと離れていましたし。

ーーその後はどのようにしてプレスに?

プレスがやりたいと上司にアプローチをしていたら、ちょうど半年くらいで声がかかり、晴れてプレスになりました。

先輩の背中を見ては、自分の未熟さに落ち込んでばかり

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HOLICS編集部

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