わたしの偏愛ストーリー

行列のできる超人気カレー店「魯珈」店主・齋藤絵理さんのスパイス愛

SPECIAL HOLICS編集部 2019.2.28

舌の肥えたカレー好きたちを魅了する「スパイシーカレー魯珈(ろか)」。その人気ぶりは、カレー界を揺るがす勢いで、記帳制になる前は、なんと3時間を超える行列があったほど。そんな話題の店をひとりで切り盛りするのは、カレー偏愛歴30年以上の齋藤絵理(さいとうえりさん)。今回は、「私、スパイスがないと何もできないんです」と笑う齋藤さんのスパイス愛をお届けします。

スパイスは仕事の相棒のようなもの。二人三脚で切り盛りしています

韓国をはじめ、タイ、インドなど多国籍の飲食店が立ち並ぶ東京・新大久保。街が活気づく前、その店のランチを食べようと、朝8時台から客が並び始める......。「スパイシーカレー魯珈(ろか)」は、スパイスカレーと台湾の家庭料理、豚バラ煮込みかけご飯「魯肉飯(ルーローハン)」を掛け合わせた、他にはない一皿が楽しめる超人気店。

カレー好きの両親のもとに生まれた店主・齋藤絵理(さいとうえり)さんは、幼い頃からこれまで、飽きることなくカレーを食べ続けてきた真のカレー偏愛者。高校生の頃にはカレー屋になることを志し、紆余曲折を経て、2016年に「スパイシーカレー魯珈」をオープン。

「スパイスは仕事の相棒のようなもの」スパイスなくしては語れない齋藤さんのカレー人生とは?

「今しかできないことをしたい!」と、カレー店の内定を蹴ってダンサーの道へ

ーーずばり、カレーのおいしさに目覚めたのはいつ?

物心ついた頃からでしょうか。両親そろってカレーがすごく好きなんですよ。なので、幼い頃から、両親に連れられて、よくカレーを食べに出かけていました。

ーー齋藤さんが子どもの頃は、スパイスを使ったインドカレーが今ほどたくさんはなかったはずですよね。

そうですね。インドカレーのお店はあったものの、数はかなり少なかったですね。カレーといえば、家や給食に出てくるような、具材の大きい煮込み系が主流でした。

毎週、習い事が終わったら、「カレーハウスCoCo壱番屋」で食べて帰るのも楽しみでした。高校生の頃には、もう「将来カレー屋になる!」と心に決めていましたね。

ーー高校卒業後は、すぐカレー店に就職を?

いえ、大学には進学しました。当時、ストリートダンスを本格的にやっていて、4年生になり、某カレー店に内定をもらったのですが、「今しかできないことをしたい!」と思い、内定を蹴ってダンサーとして食べて行く道を選んだんです。

将来的にカレー屋にはなりたい。けれど、学生時代はやっぱりかっこいいものへの憧れがあったんですよね。

ーーダンサーとしての仕事はどのくらいされていた?

2年間くらいでしょうか。音楽がすごく好きなので、アーティストのバックダンサーとしてやっていきたいと思っていたのですが、現実はなかなかうまくはいかなくて。オーディションに落ちる日が続き、「ダンサーとして食べていくのは無理だ」と悟り、すぱっと潔く辞めました。実は最初から決めていたんです。「2年間がむしゃらにやって芽が出なければ、カレーの道に進もう」って。

「2ヶ月後に独立したいので辞めます」と伝え、本格的に独立準備をスタート

ーーその後、修行を積むことになる「エリックサウス」へ?

はい。今でこそ、スパイスを使ったインドカレーを作る日本人の店はたくさんありますが、当時はインド人がやっている店しかなかったんです。きちんと料理を学ぶためにも、言葉が通じる日本人が働いていて、かつ本格的なインドカレーを作っているところへ入りたい。その条件を満たすのが「エリックサウス」だったんです。

ーーそこではどんな経験を?

大好きなカレーを作る現場にいられるのは、本当に楽しくて楽しくて。カレー作り以外に、経営についてもたくさん学ばせてもらいました。

ただ、入社して5年くらい経った頃に体調を崩して2ヶ月ほど休ませてもらうことになったんです。私は、一つのことにのめり込むタイプなので、いろいろと頑張りすぎてしまったのが原因だったと思います。「これ以上休むと、他のスタッフの人に迷惑がかかってしまう」そう思い、一度は辞めようと決意したのですが、やっぱりカレーはもちろん、カレーを作る仕事場が何より好きで......。その後、職場に復帰して、7年間勤務しました。

ーー独立しようと思ったきっかけは、何だったのでしょう?

「いつか自分の店が持てたらいいな」とは思っていたものの、そのとき年齢は33歳。「新しいことを始めるなら、若いに越したことはない!」と、ある日急に思い立ったんです。それから2ヶ月くらいしてから、店に「2ヶ月後に独立したいので辞めます」と伝え、本格的に独立準備をスタートさせました。

ーーということは、準備期間は4ヶ月!? 修行中、自宅でオリジナルレシピをすでに考えていたとか?

突然すぎますよね(笑)。
いえ、修行中は忙しくて、自宅で試作なんてことは全くしていなかったです。ただ、休みの日に、カレーの食べ歩きはしていたので、経験や知識を蓄えてはいましたね。

ーーそんな短時間で、“自分の味”を作れるものなのでしょうか?

そうですね。7年間ほぼ毎日「エリックサウス」でカレーを作っていたので、その味をベースに、好みの食材を追加したり、スパイスの配合を変えたりして、自己流にチューニングしていった感じなので。

ーーいちばんのチューニングポイントは?

やっぱり「魯肉飯(ルーローハン)」とのあいがけにしたことですね。

ーーなぜ「魯肉飯」を?

実は、大学時代に4年間今はなき渋谷の台湾料理店「鬚張魯肉飯(ヒゲチョウルロウハン)」でアルバイトをしていたんです。そこで、「魯肉飯」にすごくハマって。「いつか自分の店を持つときは、魯肉飯とカレーを掛け合わせたオリジナルメニューを作りたい!」と、そのときから決めていたんです。

店をオープンしてから約2年。毎日使っている鍋は、新潟の金物市で見つけたもの。「高速バスと山手線を使い、担いで持って帰ってきたという思い入れの深い宝物です」

ーーオリジナルレシピを作るうえで、苦労した点は?

実はカレーの味はわりと早い段階で決まったんです。でも、「魯肉飯」がなかなか思うように行かず。「魯肉飯」は、簡単に言うと八角というスパイスの利いた豚の角煮をご飯に乗せたような料理なんですね。甘じょっぱい味付けなので、そもそもカレーと一緒に食べる料理としては向かない。

魯肉飯とカレー。そのままの味付けだと、どちらも主張し合って喧嘩してしまう。それには、2つの料理の“つなぎ”を改善する必要があると思って。なので、魯肉飯にも、カレーに使っているスパイス(クローブやシナモン)を入れて、味に共通要素を加えてみたんです。そうしたら、喧嘩していた2つの料理が、見事にすっとなじんだんですよね。

ーースパイスが2つの料理の仲を取り持ってくれたんですね。

魯肉飯は、学生時代の記憶を呼び起こすところからのスタートだったので、本当に大変でした。しかも、当時はホールで、実際に調理をしていたわけではなかったので。店は、数年前に日本から撤退してしまっていたので、味を確認しに食べに行くこともできず......。

実は、魯肉飯の味が決まったのは、オープンの5日前くらいだったんです。さすがに、告知をしてしまったけれど、オープン日をずらそうかと、本気で焦りましたね(笑)。

「どんな食材を合わせよう?」頭の中でパズルみたいに組み立ててレシピを作っていく

まず店に立ったら、その日のカレーに使用するスパイスを、ブレンダーではなく、すり鉢ですることから始める。

  • 1/2ページ
  • 1

関連記事&キーワード