ボーダレスな女たち

セラミド美容液が大ヒット!運命を変えた31歳LAの旅

SPECIAL HOLICS編集部 2018.12.29

「海外」と「お金」をテーマに、海外へ飛び出しビジネスチャンスをつかんできた先輩たちに、30代女子を代表して斉藤アリスが質問する人気連載。第5回目は、今年ベストセラーを記録した美容液「セラプル」を開発した(株)HIROE STYLE LAB代表取締役の平野宏枝さん。経験値ゼロだった平野さんがどうやってヒット商品を生み出したのか? 気になること、全部聞きました。

平野さんの人生年表。なかなかに波乱万丈です。

20代はまるでジェットコースター!?31歳でLAへ。

中学で傷ついた先生の言葉、23歳からコールセンターでクレーム対応、27歳で入院し実家の岡山へリターン、アメブロをはじめて東京へカムバック!
 30歳になるまで海外とは縁遠い人生をおくっていたという平野さん(現38歳)。31歳で初めて訪れたLAをきっかけに、彼女の人生は大きく動き出した。

平野宏枝さんと斉藤アリス。

中学の先生に「かわいそうだね」と言われて...

—美容業界に入るきっかけは?

父が何億と借金をしたり母が卵巣ガンになったり、子供ながらにストレスを抱える出来事が多く、小学校のときにアトピーを発症したんです。ステロイドなどの治療を長く受けていました。
中学生のとき先生に「平野の肌かわいそうだね」と言われたの。それが本当にショックで、メイクで肌を隠すようになりました。

—ひ、ひどい。でもそういう先生、時々いるんですよね。

でもそれが私の源というか、その経験がなかったら美容の仕事はしてなかったと思います。時代の流れもあって、高校生の頃はギャルもギャル。宝塚ばりのメイクの濃さでした。岡山一、濃かったんじゃないかな(笑)

家族写真。真ん中の女の子。当時4歳。

—今の平野さんからは想像もつかないです!

そう! 今は人生で一番メイク薄いかも。ファンデーションを塗らない日も多いです。大学在学中にリハビリメイクのかずきれいこ先生に出会い、衝撃を受けました。流れのままに資格を取り、その後アシスタントとして師事しました。

—リハビリメイクって何ですか?

病院やサロンで、外見に悩みを抱えた患者さんにメイクをする仕事です。火傷やリストカットを隠す特殊メイクもあって。『心に傷を抱えた人のケア』が目的の一つ。美を通して生きる力を取り戻す人達をたくさん目の当たりにしました。自分自身がリハビリメイクに出会って助けられたので、今度は自分も教える側になりたいなと思ったんです。入社して最初に配属されたのがコールセンターでした。

まさか!配属先がコールセンターだった

—え! まさかのコールセンターからですか?

毎日100件くらい電話をとるところからスタートしました。おかげでクレーム対応、超得意になっちゃって(笑)。お詫び文の雛形やマニュアルも私が作っていました。クレームのお客様を逆にファンにするのも得意でしたよ。

—クレーマーがファンになることってあるんですね。

あります、あります。何か変えてもらいたい、伝えたいという想いをもった方なので、誠意をもって対応すると逆にファンになってくれるんです。マイナスをプラスに変えられることはコールセンターで学びましたね。5年勤めて、最終的には東京サロンの店長をさせていただきました。

サロン勤務時代。当時26歳。(2列目中程)

—ストレス溜まらなかったんですか?

溜まったんですよ〜。で、倒れちゃって救急車で運ばれました。

—え!!

心に傷をもつ人たちと毎日向き合ってきたので、自分のボーダーラインを超えたんだと思います(笑)

27歳、病気で実家にリターン。1年でカムバック。

—今の平野さんからは想像もつかない!(2回目。笑)

27歳のとき急性胆嚢炎を発症し、仕事を辞めざるを得なくなって地元の岡山へ帰りました。がむしゃらに頑張っていたし、好きな仕事だったのですごく悔しかったです。実家の家業を手伝いながら、自然が好きなので山に篭ったりしつつ…今でもあのときの自分に負けてしまったという悔しさがバネになっています。そうやって、だんだんと自分らしさを取り戻していきました。それで1年くらい経ったとき「もう一度東京で頑張りたい」と思ったんです。

—どんな一歩を踏み出したんですか?

まずはアメブロをはじめて、同性代の女性たちと繋がりをつくりました。それでたまに上京しては不定期でメイクレッスンを開講。そこから少しずつオファーを頂くようになり、30歳になる頃にはスーツケース片手に全国を飛び回る生活をしていましたね。

メイクレッスンで全国を飛び回った、28歳。
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