好きを仕事につなげたひと

女の子を最高に可愛く撮るプロ♡写真家・花盛友里さんのカメラ愛

SPECIAL 2018.4.12

「何度も辞めようかと思った」そう話すのは、女の子のありのままの姿を収めた写真集「寝起き女子」や「脱いでみた。」で話題をさらう、人気写真家の花盛友里さん。道に迷い、諦めそうになりながらも“好き”を信じ続けた彼女が手にしたものとは? 今回は、「とにかく撮ることが大好き♡」という“カメラ愛”がひしひしと伝わる花盛さんのハッピーなお仕事ストーリーをお届けします。

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自分の想いが相手に伝わると、みんな最高に可愛い表情をくれるんです

女の子の無防備な寝起き姿を収めた写真集「寝起き女子」、そして女の子が持つ素の美しさを切り取ったヌード写真集「脱いでみた。」で、いま大注目を浴びる写真家の花盛友里さん。

「女の子は誰だってコンプレックスを抱えているもの。そして、女の子は誰だって美しい部分を持っているということを伝えたい」

そんな彼女が、カメラの楽しさを知ったのは中学生の頃。親戚からもらったキティちゃんのインスタントカメラでした。その後、高校時代に訪れたアメリカで、知人の一眼レフを触らせてもらったのを皮切りに、花盛さんの長い長いカメラ人生がはじまります。

「向いていない」とハローワークへ足を運んだこともあるという花盛さんが、好きを仕事につなげた秘訣とは?

「アメリカってなんかかっこいい!」っていう理由だけで、留学を決めました(笑)

2018年1月に出版された「寝起き女子- girls in the morning -」(ワニブックス刊)より

ーー花盛さんがカメラに興味を持ったきっかけは?

14歳のとき親戚にもらったキティちゃんのカメラがきっかけです。中にフィルムを入れて撮るだけのおもちゃのようなものなんですが、それがすっごくおもしろくて!! 一眼レフとの出合いは、16歳のとき留学で訪れたアメリカですね。

ーー中学卒業後に留学とはずいぶんと早いですね! なぜ留学を? 

そうなんですよ。中学を卒業してすぐにひとりで渡米し、1年だけペンシルバニア州にある高校に通いました。

当時、アメリカ映画が大好きで、アメリカという国に強い憧れを持っていたんですよね。特に「レオン」や「スタンド・バイ・ミー」なんて、300回くらいは繰り返し観ていたほど。「アメリカってなんかかっこいい!」っていう理由だけで、留学を決めました(笑)。

ーー若さゆえの勢いですね(笑)。アメリカではどんな生活を?

向こうに住むガラスアーティストの叔父の家にホームステイをさせてもらいながら、公立高校に1年間通いました。その叔父の家がちょっと変わっていて、私たち以外に別の家族も住んでいたり、納屋は、ファッションデザイナーの卵や画家など、若いアーティストたちの溜まり場みたいになっていたんです。

ーーすごく楽しそうですね。16歳でその環境はかなり刺激的だったのではないでしょうか。

いいように聞こえてるかもしれませんが、住んでいたのはペンシルバニア州というところで、鹿狩りの銃声で毎朝起きるような田舎でしたけどね(笑)。 

でも、そこで知人の一眼レフを触らせてもらったのが、カメラマン人生の始まりです。

「向いてないのかも」と自信をなくし、ハローワークに足を運んだことも

専門学校時代から、何度も買い替えているキャノンのカメラ。40年くらい前のモデルだと思います。

ーー帰国後は、日本の高校へ?

はい。単位制の高校へ通いながら、バイト代を貯めて買った一眼レフで、本格的に写真を撮るようになりました。すごく自由な校風で、校長先生も「友里、写真撮ってるんやったら壁に貼り〜」と言って、作品を校舎の壁に飾らせてくださったり、「来月行事があるからと撮ってみるか?」と声をかけてくださったり。

ーー素敵な学校ですね。では、その頃から写真家になることを決めていたのでしょうか?

いいえ、迷ってました。服も好きだったので、アパレル業界もいいな〜なんて思っていました。そしていざ専門学校へ進むとなったとき、写真とアパレル、2つの学校へ体験入学に行ったんですね。そしたら、写真のほうが自分にとって学びが多いと感じたので、写真の専門学校へ進むことにしました。

ーー卒業後は、スタジオマンに?

はい。大阪から上京し、都内のスタジオに入りました。3年くらい勤務していたのですが、学生時代に思い描いていた華やかな世界とのギャップを感じ、「これが本当に私がしたいこと?」と、自分の将来に迷いが出てきたんです。

ーー何がそうさせたのでしょう?

そこにいるカメラマンさんを見てると、みんな写真が好きそうに感じられなかったんですよね。仕事だから撮ってる、みたいな。当時、私も作品撮りをしていたのですが、それさえも楽しめなくなってきて......「もうカメラを辞めてもいいかな」って。完全に“自分”を見失っていた時期でした。

それからしばらくしてスタジオマンを辞め、師匠を見つけるか、旅に出るか迷った結果、ひとりでニューヨークへ行くことにしたんです。

今でも使っているという愛用のカメラたち。上から、14歳のとき、はじめて手にしたキティちゃんのインスタントカメラ。専門学校時代から使っているコンタックスのデジカメ。キティちゃんのカメラと同じく、中にフィルムを入れて使うリコーの「オートハーフ」は専門学校時代から。

ーーニューヨークにはどれくらい滞在を? どんな毎日だったのでしょう。

半年くらい住んでいたのですが、写真も撮らずにとにかく遊びまくりました(笑)。本当はもっと住みたかったけど、ビザの都合上、泣く泣く帰国することになって。

帰国後は、友だちの紹介でカメラマン・ホセアラゴンさんのロケアシ(撮影時のみカメラマンにつくアシスタントのこと)をさせてもらえることに。当時、モードなハイファッションを撮っている彼に、会うたびに自分の作品を見てもらっていたんです。そしたら「僕が所属してる事務所に持っていってみなよ」と言われて、持って行ったら「一緒にやりましょう!」と言っていただけて、事務所に入ることになって、いきなり独立することになったんです。25歳くらいの頃でした。

ーーすごい! 普通、カメラマンになるには、3年や5年、師匠について修行が必要ですよね。

そうですね。でも、当然のことながら、事務所に入ったとはいえ、仕事は全くありませんでしたよ。仕事も自分で取りに行っていましたし。3〜4年は、まともに食べていけなかったので、居酒屋やバーでバイトをしながらの日々でした。

家賃は毎月延滞、電気はいつも止まるギリギリのところで支払いをするみたいな生活で、何度も「向いてないのかも」と自信をなくし、ハローワークに足を運んだこともありました。

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HOLICS編集部

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