出典: UN by Martine Perret
ボーダレスな女たち

タイ、東ティモール、フランス。世界を渡り自由を表現する小説家

SPECIAL HOLICS編集部 2019.3.15

「海外」と「お金」をテーマに、海外へ飛び出しチャンスをつかんできた先輩たちに、30代女子を代表して斉藤アリスが質問する連載。第6回目は、小説『うつくしい繭』の作者・櫻木みわさん。子供時代からの夢だった作家デビューを果たした櫻木さん、一体どんな半生を歩んでこられたのでしょうか?

2018年12月、無名の新人でありながらハードカバーで小説家デビューを果たした櫻木みわさん。大学卒業後、単身タイへ渡り、現地の出版社に就職。その後、東ティモールやフランスに滞在し、20代から30代のはじめまでを海外で過ごした。特にアジアで最も新しい独立国、東ティモールでは孤独を感じることも多かったといいます。作品では語られていない、彼女の半生に迫ります。

櫻木みわさんと斉藤アリス

21歳。「深夜特急」を読んでインドへ

—小さい頃から本好きだったんですか?

小さな頃はわんぱくで、家のなかでは障子に、外に出たら木にのぼる、小猿のような子どもでした。私の家では父がたいへん年を取っていたので、母が働いているあいだ、父が面倒をみてくれていたのですが、こんなふうではとても老体の手におえないと、苦肉の策で本を与えたのだと、後年父が話していました。父の思惑どおり読書の楽しさに目覚め、それからは本の虫。児童文学の名著『おちゃめなふたご』の寮生活にあこがれて寮のある女子校に進学し、高校生のときに読んだ沢木耕太郎さんの『深夜特急』に魅了されてひとり旅をするように。タイに住むことを決めたのも、旅先のタイ南部の村で読んだ『月と六ペンス』のなかの、ある一行に打たれたからです。本は、自分の人生の選択に大きく関わるものでした。

旅先のラオス、ルアンバパーンの寺院で。旅先では常にメモを取っていた

—お金はどうやって工面したんですか?

大学を卒業してから1年間、塾講師をしてお金を貯めました。80万円を持ってタイに飛び、現地で全額バーツに替えて、そのままタイの銀行に入れました。いまふりかえると向こうみずだなぁと思うけど、これで覚悟が決まると考え、迷いはなかったです。最初の半年間、現地の語学学校に通って、タイ語を習得しました。

—現地の出版社で働きはじめたきっかけは?

学生時代に『バンコク発「日本人、求ム」』というインタビュー集を読み、タイに日本語メディアがあることは知っていました。自分もそこで働けたらとは思っていたけれど、実際に仕事をするようになったのは、現地の日本語情報誌の草分け『DACO』が企画したエッセイ・コンテストがきっかけです。入賞したらインターコンチネンタルの豪華な朝食ビュッフェに招待してもらえ、そこには納豆もある。納豆が恋しかったのですぐに応募しました。無事に優勝してエッセイが掲載されたのですが、それを読んだ日本語新聞の編集者が、興味を持って連絡をくださったのです。そこから、ライターの仕事をいただくようになりました。その後、新聞社で働いていた女性編集者が独立し、現地で初の女性向け日本語情報誌を立ちあげました。それが本当にかわいいフリーペーパーで。その会社で働きはじめ、28歳のときに編集長になりました。

編集していた日本語フリーペーパー。女性に人気だった

—タイに日本語のフリーペーパーがあるんですね!

タイには日本人がたくさん住んでいるんです。多くの日系企業が進出しているし、日本人学校の生徒数も世界一。バンコクは、2015年には上海を抜いて、アジアで最も在留邦人の多い都市になりました。私がいた頃も、大使館に届けを出しているだけでもタイ全体で4~5万人近い日本人がいて(現在は約7万人)、日本語媒体も次々に登場していました。

タイで編集長に。公衆の面前で怒るのはタブー?

—タイの会社で働くとぶっちゃけ、お給料ってどれくらいもらえるんですか?

編集長時代は5万バーツ(約15万円)でした。本国の企業から駐在で来ている人たちは手当てもお給料も手厚くて安心だけれど、現地採用で働くのは、保険やビザの問題も含め、いろんな意味で容易ではありません。とはいえ、当時は大卒のタイ人の平均的な初任給が3万バーツ(約9万円)、物価も安かったので、普段の生活で困ることはありませんでした。タイ語学校に行っているときは、川向こうのローカルな地域に若いタイ人たちと一軒家をシェアして住み、働きはじめてからは都心に引っ越し、親しい女性編集者が紹介してくれたメイドサービス付きの外国人専用アパートメントで暮らしました。どちらの生活も思い出深いです。

出典: ©️Chakrapong Danvivathana 仕事で一緒に組んでいたタイ人カメラマンが撮ってくれたスナップ。28歳頃

—タイと日本の職場では、何が一番違いますか?

限られた職場しか知らないので一概にはいえないのですが、編集長のときは会社の部下がみんなタイ人で、仕事に対する認識の違いを感じたことはありました。タイ人は転職も気軽にするし、よくもわるくも仕事に縛られるということはあまりないかもしれません。取材のアポイントメントを取るために電話をするようお願いしてあっても、「かけたけどつながらなかった」と、一度かけただけで任務終了していたり。

—え! 日本だったら確実に怒られますね。

はい(笑)。だけど、怒ってはいけないんです。タイでは公衆の面前で人を怒るのはタブー。プライドをとても尊重する文化なのです。私が勝手にタイに来て働かせてもらっているのだから、タイのルールに従うのは当たり前のこと。それに、外国で、企業や組織のうしろだてがない状態で働いていると、周りの人の助けなしでは生きていけないのです。私も本当に、たくさんの人に助けてもらいました。いつ、どこで、誰に助けられることになるかわからない。だからうかつに人を軽んじない、というのはすごく大事かも。

出典: ©️ Chakrapong Danvivathana 日本に帰ってからも、タイにはよく遊びに行っていた

—その後、出版社をやめたんですよね?

会社が大きくなっているときに、まだ30代だった社長が、心不全で急死しました。お葬式も済まないうちから、買収したいという人たちが次々にやって来て、社内は混乱状態に。もともとは、すてきだなと憧れていた女性に誘われて入った会社だけれど、その彼女も帰国して、もういない。自分も離れるときかなと考えました。それで、かねてから「自分と一緒に来てほしい」といってくれていたフランス人男性の赴任について、東ティモールに移住しました。

29歳で東ティモールへ。どの言葉を学べばいいの?

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