好きを仕事につなげたひと

CHICO SHIGETAさんの “忙しい自分”をとことん楽しむ仕事論

LIFESTYLE HOLICS編集部 2019.8.12

コスメブランド「SHIGETA」を主軸に、コンサルタント事業やメディアの運営など、オーガニック&ホリスティックなライフスタイルを提案しているCHICO(ちこ)さん。フランスカルチャーへの憧れから渡仏、そして様々な出会いをきっかけに立ち上がった「SHIGETA」ーー。目が回るほど忙しくて、でもとても楽しかったというCHICO(ちこ)さんに、「働き通しだった半生と、これから目指すもの」について語っていただきました。

「みんなを美しく、楽しく、わくわくさせたい」、その想いに突き動かされて

オーガニックコスメブランド「SHIGETA」主宰、ホリスティックビューティコンサルタントとして活動する、CHICO(ちこ)さん。幼いころから美容に触れる環境で育ち、20代で渡仏。そして、30代で自身のブランドを立ち上げ、シンプル&簡単な独自のセルフケアメソッド「バイタリティー・コーチングR」を確立。現在は、SHIGETAのラボ(化粧品を作る工場)があるパリ、東京、そして、自宅のあるタイを行き来しながら、仕事と子育てを両立しています。

右はSHIGETAのアイコニックなアイテムのひとつ「EX オイルセラム」。左の「モイスチャーセラム」は、ローズオイルのほか天然由来のエッセンスをたっぷりと使った美容液。

いつも「どうやって、みんなを美しく、楽しく、わくわくさせるか」ということを考えているというCHICOさん。ブランドに対する想い、そして、生い立ちから現在までのストーリーについてたっぷりお話していただきます。

「友達と遊んだ記憶がないほど、 小学校から“働く子ども”でした」

――CHICOさんが美容に興味を持たれたのは、小学生の頃なんですよね? どんな子ども時代を過ごしてましたか?

実家は、祖母の代から続く美容室をしています。とにかく小さい頃から“働く子ども”でした。学校から帰ってくると、美容室のこまごまとした仕事が待っているんです。例えば、店で使う大量のタオルを洗ったり、パーマをする時に使うペーパーの準備をしたり。いろいろある雑用の中で、メインの仕事は、家族と住みこみで働いているスタッフのごはんを作ることでした。毎回10人前ぐらいの食事を作っていましたね。

――そんなに多忙な毎日では、友達と一緒に遊ぶ時間もないですね! 辛いと感じなかったんですか?

友達と遊んだ記憶はないんですね。母親が自分にいちばん近いモデルだったので、子ども心に“働くことはあたり前”っていう気持ちが根付いていて、辛いなんて思わなかったし、そんなことを考えるヒマがない(笑)。

家には、“人に頼らず生きていけ”という一文が入った祖母が書いた詩が飾ってあって、それを姉と一緒に歌を歌うように読んでいました。それが家訓になっていましたね。祖母は大正生まれですから、今思うと女性が商売を始めるというのは、なかなか難しい時代だったと思います。そのDNAを受け継いだ父母の仕事を間近で見ているうちに、自然と美容に興味を持つようになったんです。
中学生になると、ますます多忙になりました。学校に行く前に、12人前分の朝ごはんと自分の弁当をつくり、授業、部活が終わった後は急いで帰宅。すぐに夕ご飯の支度をするために買い出し。1ヵ月分の食費を任されていましたから、スーパーのチラシを見てチェックしたり、料理雑誌を見て献立を考えたり。おかげで、だいぶ手際のいい中学生になっていましたね(笑)。

――思春期真っ盛りの中学生ですから、親に反抗することはなかったんですか?

やることが多すぎますからね、グレてるヒマなんてなかったんです(笑)。それに、商売をしている家庭に生まれて育ってきているので、その環境が私にとってはあたり前だったんですよね。母は、家の仕事だけではなく手先が器用になるようにとピアノやお裁縫なども習っていました。高校生になってもその環境は変わることなく、ずっと手伝っていました。

そして、大学進学を考えた時、美容はもちろん好きでしたが、ぜんぜん違うこともしたいなって思ったんです。当時アメリカに憧れていて、“英語を勉強したい!”という気持ちが生まれて、大学では語学を専攻しました。
でも、大学に入ってみると、やっぱり美容が大好きだという自分に気づいて、大学に通いながら、ネイルスクール、メイクスクール、通信で美容の専門学校で学び、美容の知識を深めていきました。
そして、次の進路を考える大学4年の時、フレンチポップやフランスの文化にハマっていて、それがきっかけで、フランスに行ってみたいという気持ちに。当時の私は、“フランスの女性って、自信があって自立していてカッコいい!”みたいな憧れがすごくあって、フランスに留学したいと思ったんです。それに、フランスは美容大国ですから、そこで美容を学んでみたかった。さっそく親に相談したら、「3年間は実家に戻って、美容室のことを一通りできるようになってから行きなさい」とピシャリ。ということで、大学卒業後は実家に戻り、本格的に仕事として一から学びました。おかげで、着物の支度や着付けはかなり得意ですよ(笑)。

実家の美容室で3年修業、そしてついに憧れのフランスへ!

――3年間みっちり実家の美容院で仕事をして、いよいよCHICOさんの渡仏がスタートするんですね!

25才で初めてフランス・パリに行きました。1年間の語学留学をしながら、美容の仕事を探しましたがなかなか見つからず、あっという間に1年が過ぎてしまいました。1年間しか親のサポートはありませんでしたから、2年目からは本気で仕事を見つけようと決心して、ようやくマドレーヌ寺院のそばにあるサロンで働けるようになりました。上司や同僚すべてフランス人ですから、語学力もぐんぐん伸びましたし、楽しく仕事ができましたね。でも、サロンだけは生活がままならないので、仕事が終わった夜に、自宅に訪問するという形で、施術をするようになりました。そして、3年目の時に、もっとエステを学びたいと思い、昼は専門学校、夜は訪問による施術という、生活がスタートしました。ちょうどその頃、学校の授業で“自然療法”に出会いました。

――フランスでの生活がスタートして4年。29才で日本に帰国したCHICOさん。じつは、実家の美容室を継ぐことになっていたそうです。

そもそも美容室を継ぐつもりで留学していて、美容室にはすでにお客さんがいて、スタッフがいる。そんな恵まれた環境に身を置くことに不安を感じていました。どこか“籠の中の鳥”のように感じていて、「このままでいいのか?」って焦っていましたね。フランスでの3年間の生活で自立したということもあると思いますし、自己表現をすることが自然になっていたんです。留学生活を経て、まだ私がやれることがあるんじゃないかと思っていました。だから両親に、「美容室は継がずにフランスで生活したい」と相談しました。当然ながら母はものすごくがっかりしました。やっと帰ってきて、継いでくれるとばかり思っていましたから。再びフランスに出発するときは本当に重苦しいムードになりましたが、でも私は、“フランスに行かないといけない!”という気持ちのほうが強かったんです。結局、母とはギクシャクしたままでフランスに戻りました。

――そして、フランスでの生活が再び始まりました。そこで、自然療法やアロマセラピーについて、深くつながるようになります。

学校で学んでいる時に、著名なアロマの先生に出会いました。その方から、仕事を手伝っほしいと言われて、パリと先生の自宅があるプロヴァンスを往復する日々がスタートしました。その先生との出会いがきっかけで、自然療法やアロマセラピーを深く勉強することができましたね。いちばん感じたのは、自然療法は特別なものではなくて、日常の中に当たり前のようにあることだったり、日々の暮らしの中にアロマがあるということ。人間は自然の中にあることを、日々の暮らしを通してわかりました。美容は、外側からのものだけでなく、身体の内面にもあらわれるもの。自然療法とは、身体の内側からきれいになっていくものなんです。そうそう、先生はよくパーティを開く方だったので、10人前後の食事の用意をよくしていました。子どもの頃の経験が生かされた日々でもありました(笑)。先生のもとで1年ほど働いたころ、自分の中にそろそろサロンを開業したい、という気持ちが生まれました。

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