その差はどこに!?“好き”が仕事になるひと、趣味で終わるひと

LIFESTYLE HOLICS編集部 2017.8.15

「このままこの仕事を続けていていいのかな」。働くことに対してモヤモヤを抱えていませんか? 自分の”好きなこと”を、できれば趣味で終わらせずに、仕事につなげられればいうことなし! でもそうするには、いったいどうしたらいいの? そこで、自分の”好き”を仕事につなげた先輩女性のスーパーマーケット研究家、菅原佳己さんにお話を聞きました。

菅原佳己(すがわら・よしみ)

1965年、東京生まれ。放送作家として「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」などに参加。25歳で結婚し、夫の転勤で国内外を転々とするうち地元スーパーの魅力にハマり、’12年に『日本全国ご当地スーパー 掘り出しの逸品』を上梓。現在、スーパーマーケット研究家としてTVや新聞などで活躍中。

サラリーマンの夫には数年ごとに転勤があったので、働くといっても就職というわけにはいかず、アルバイト程度。そんな仕事でも信頼を得ようと頑張ってはいたのですが、次の転勤が決まれば、自分の意思とは無関係に、しかも唐突に辞めざるを得ません。結婚前には放送作家をやっていたのですが、あまりの忙しさに自分から放り出してしまった。それ以来、自分は何をやっても最後までできない人間なんだというコンプレックスもありました。第一線で活躍する当時の仲間の番組を目にするたびに落ち込んで、自分はこういう人生を生きていくしかないんだろうな、って。(菅原佳己さん)

おとなスタイル2017年夏号

第一子を妊娠したのは結婚16年目の41歳、何度目かの転勤で東京に住んでいたときだったそうです。出産と同時にマンションを購入し、菅原さんは今までとは違う生活を思い描き始めます。当たり前だと思っていた転勤ではなく、夫の単身赴任の可能性です。

〝根無し草にやっと根が生えた〟という感じで。出産後には出版社で仕事も再開し、〝私はここで子育てをするんだ〟と思っていました。でも娘が1歳になった頃、夫がまた名古屋に転勤することになってしまって。いろいろ話し合った末に、私が意地を張る形で東京に残ったのですが、働きながらひとりで子育てするのは本当に大変でしたね。その冬に限って、子どもが外で3回もノロウイルスをもらってきて、私も周囲が心配するほどやせ細り、結局は半年で音を上げました。その時は 〝また最後までできなかった〟という敗北感で、魂が抜けたような状態になってしまって……本当に暗黒の時代だったと思います。(菅原佳己さん)

おとなスタイル2017年夏号
出典: 話題のご当地スーパーに関する著書

ようやく前向きな意欲がわいてきたのは子どもが幼稚園に入った頃。まずは「転勤があることを前提に、それでも続けられる仕事」へと発想を転換したといいます。短大の写真学科に通った経験があるので写真は撮れる。雑誌編集の手伝いをしていたので文章も少しなら書ける。赤ちゃんを育てた経験もあるし、その喜びも知っている。そこから発想したのが、ネット上で販売するお母さんのための情報誌「赤ちゃん新聞」だったそうです。

注文してくださった方からは好評でしたが、商売にはなかなかならなかったですね。でも自分が書いたもので誰かが喜んでくれることが嬉しくて。自分は書くことが好きなんだと再認識して、それなら何か書いてみようと。(菅原佳己さん)

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菅原さんの最近の掘り出し物①

伊勢糀屋の「糀ぷりん」。“世の中すべてのプリンに糀とたまり醬油を入れていいと思うほどの美味しさ”。

思いついたのは、昔から国内旅行に行くたびに趣味で撮りためていた、地方のスーパーマーケットと、そこにあった面白い商品の写真。友達に話せば「すごい! 面白い!」と言ってもらえるそれらの情報を、もっと多くの人に伝えることはできないかと考えました。前職、パソコンもスマホもなかった時代の放送作家の性で、わからないことは電話をかけて質問し、ノートに記録もしてあるから、─本にできるかもしれない。手始めに何度も住んだことのある名古屋の地元商品をテーマにしたページのサンプルを作り、アルバイト先だった東京の出版社の編集者に「えいっ!」と送りました。そのワンクリックが、菅原さんの道を開いたのです。

出典:

失敗しても大したことじゃない、だから50歳からでも挑戦できる

主婦の生活は毎日同じことの繰り返しで、受け身で待っているだけじゃ日々は何も面白くならない。こう言っている私だって大方は待っていたんです。限られた環境の中で、致し方なく選んだ仕事しかしていなかったんですから。〝赤ちゃん新聞〟は、初めての自分からのアクションでした。そうやってやみくもにでも一歩踏み出したから、その次に〝本を書こう〟という発想になったんだと思います。これが若い頃ならいろいろな状況を先回りして考えて〝やっぱり無理〟と諦めていたかも。たいがいのことは何とかなる、失敗しても大したことじゃないと思える心の余裕があったのは、この年齢だったから。ここで踏み出すか踏み出さないかで、その後は全然変わっていたと思います。たった一歩だけど、〝0と1〟じゃなく〝0と100〟くらい違う。(菅原佳己さん)

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かつて「ずーっとモヤモヤしていた」頃、菅原さんにはそんななかにも、根拠のない自信のような、予感のようなものがあったようです。

出典: 菅原さんの最近の掘り出し物②
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